東海道五十三次4/神奈川

神奈川県横浜市 神奈川宿 東海道五十三次の3番目の宿場町隣接する神奈川湊は、当時関東方面の物資輸送の拠点だった。

東海道の旅人と全国から集まる人や物資で活況を呈した宿場町になっていたようだ。その後幕末に日米修好通商条約が締結され、神奈川湊を開港することになるが、住民と外国人とのトラブルを避けるため対岸の横浜村が外国船の入港指定をうけてから徐々にその繁栄も横浜村に移っていったようです。

この地区の眺望は、風光明媚として江戸時代から有名だった。十返舎一九『東海道中膝栗毛』に名所として紹介されたり、葛飾北斎の『富嶽三十六景』神奈川沖浪裏の浮世絵にもなっている。

この湊は、古くから存在し鎌倉幕府のころ整備されたようである。かつては、鶴岡八幡宮の社地として、室町時代には関東管領上杉氏の領地となっていた。

現在の横浜近辺の高台からの風景を描いた浮世絵。東海道の中でも海の幸が豊富でかよいの女も江戸に近いため垢ぬけて美しいため、ここで宿をとる旅人や船頭たちが多かったようだ。

浮世絵の透かし彫り