東海道五十三次5保土ヶ谷

神奈川県横浜市 保土ケ谷宿 東海道五十三次で四番目の宿場町。武蔵の国の最西端にいちする。

街道が制定されたころは、元町に宿場町があったが、新町が東海道沿いにできると保土ヶ谷が宿場町に指定された。

保土ヶ谷の端には、現在関東大学箱根駅伝でも有名な権太坂がありそこから戸塚へと旅を続けることになる。

保土ヶ谷宿は、幕府より任命された苅部清兵衛が代々本陣、名主、問屋を営んでいた。あた10代、11代と横浜町の総年寄に任じられ横浜の名士として横浜発展に尽力されたと言われる。

保土ヶ谷の手前に架かる今はない帷子(かたびら)橋を往来する旅人を描いている浮世絵。この宿図は、再三に割り改筆が行われ家の屋根の傾斜などに変化が見られます。

また、東海道五十三次は、明るい旅情の旅を描かれているのがほとんどだが、この絵には虚無僧も描かれていて珍しい描写になっています。

浮世絵の木彫り