東海道五十三次3/川崎

神奈川県川崎市 川崎宿

日本でも屈指の工業地帯として繁栄している川崎。東海道が制定された時には、正式な宿場町とされていなかったようだ。しかし品川宿と多摩川を挟んで神奈川宿までが距離的に遠くなっていたため、後から正式な宿場町とされ伝馬の中継地とされた。しかし、中途半端な距離の宿場町であったため町は困窮を極めていたようで今の発展する川崎からは想像もできないような状態だったと言われる。

また、六郷の渡しには、近隣の農村から労働者が駆り出され、その後東海道の交通量が増えるほど増々、近隣農家の負担が重くなっていったと言われる。

またこの宿には、本陣よりも大店と言われた有名な万年屋があり格式は、一般旅籠だが、外国人ハリス、和宮親子内親王をはじめ、後に明治の重鎮となっていく幕末の志士が多数宿泊していたと言われる。

浮世絵から多摩川沿い川崎も江戸時代は、葦の茂る田園風景が広がっていたようである。
古くからこの地に橋を何回も掛けられていたが、洪水の度に流されてしまったため、渡舟での往来となった。
遠くに富士の霊峰を仰ぎながら、船頭のかじ取りによって旅人たちの舟渡しが行われていた。

浮世絵木彫り